江文社(富山市田刈屋の氏神神社)

ご祭神

国狭槌尊くにさつちのみこと

歴史・由緒

垂仁天皇の御代(およそ2000年前)、水晶のごとき水という意味で「頗梨野(かたりや)」と言われ、その名の池が明治20年頃まであったといわれる。文武天皇(在位697年-707年)が「忠孝」の二字を自書されその意義を教えられたとき、甲良人麿がこれを奉じて越路に下って教諭したという。越の民は、高梨野(たかりや=田刈屋)の丑寅(北東の方角)内山に高々と石壇を築き迎えたという。

江文社は字西田刈屋にあって西面する社である。
古くは神通川が田刈屋と安養坊の間を流れ山岸村東に至ったと思われ、この川を治め田を開こうと、造化三神の第二神にして土地をつかさどる御神徳の故をもって「国狭槌尊」をお祀りしたと考えられる。
逸話や伝説も多く、御霊代は尺余の石像であるとも伝わる。富山大空襲により社殿が全焼したが、その跡地では御霊代のみが直立し、天を凝視した御姿のようであったともいわれる。畏れた氏子が現在の本殿を造り、御霊代を安置したという。(旧社格 村社)

神社名

江文社(富山市田刈屋にお住まいの方の氏神さま・産土神社)

鎮座地

富山市田刈屋76

例祭

春祭 5月8日
秋祭 9月8日

宮司

嵯峨芳樹

江文社(富山市田刈屋の氏神神社)01
江文社(富山市田刈屋の氏神神社)03
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